「もう二度とバイクに乗ることは無い」とあきらめていた人たちに希望を与えている一般社団法人SSP(サイドスタンドプロジェクト)の「パラモトライダー体験走行会」。2020年の初開催から丸3年、数多くのパラモトライダーが誕生し、公道再デビューを果たした者もいる。そして、その活動を経て、独自にバイクレースに出場することを決めた面々が登場した。
ロードレース界のレジェンドである青木三兄弟の三男・治親が代表理事を務めるSSP(サイドスタンドプロジェクト)は、これまでの3年余りで数多くのパラモトライダーを誕生させてきた。パラモトライダーとは、バイク事故などで障がいを負ってしまったものの、このSSPの活動でバイク再デビューを果たした者たちを指す。SSPでは、障がいに合わせて運転操作を加工したバイクを用意し、ボランティアスタッフが車両を支えることで、その障がいをカバーし、バイクの楽しさを再び実感できる機会となるパラモトライダー体験走行会を月に一回ほどの頻度(冬季を除く)で提供している。
その体験走行会も数を重ね、バイクに再び触れてみる、から始まった参加者の中から「もっとバイクに乗りたい」というメンバーも増えてきている。そして話が進み、同じ青木三兄弟の次男・拓磨が主催する『Let’s レン耐!』(Let’sレンタバイク耐久レース)にチームを結成し、障がい者だけのチームが初挑戦した。
『Let’s レン耐!』はレンタル方式のミニバイクレース。エイプ100~グロム125といったバイク本体はもちろん、レーシングスーツなどの装具も貸し出しが可能で、仲間を誘って気軽に参加できる耐久レースである。もちろんレース初心者向けの初心者講習会も同日に開催されており、まさにヘルメットと身体ひとつで参戦が可能なレースである。一年に51週末しかないのに、年間38戦も開催している驚異の開催数というのも特徴のひとつ。チームでなくても一人での参戦も可能なので、拓磨曰く「誘われたら断る理由がなかなか見つからない」というレースなのだ。
そこにフォーカスしてきたのが、SSPでライダーに復活した面々。過去に何度もSSPの体験走行会に参加し、2022年9月に開催されたSSPの一般公道ツーリング『やるぜ!箱根ターンパイク』にも参加してきた。今回のレン耐の参戦を前に8月には同じ群馬県のハルナモーターランドで開催の『ノブアツ杯ハルナミニバイクレース』(こちらは青木三兄弟の長男・宣篤が主催)に試し出場もして準備を重ねてきた。
そして迎えたのが12月18日(日)に開催されたレン耐の東日本第27戦。『ノブアツ杯』で経験もあるハルナのコースを舞台にした『RSタイチCUP Xmasレン耐ハルナ4時間耐久』である。参戦メンバーは、古谷 卓さん(脊髄Th.12損傷の完全麻痺)、丸野飛路志さん(右大腿切断)、まがり美和さん(右大腿切断)というパラモトライダー。そして、ここにレジェンドライダーである小林 大さんも加わったパラモトライダーチームとなる。小林 大さんといえば、1984年、85年の全日本GP250クラスのシリーズタイトルを獲得後、1987年にはWGP鈴鹿GPでも優勝し、味の素ホンダレーシングに所属しAJINOMOTO TERRAカラーのNSRでチームメイトの清水雅広と実力と人気を分け合う活躍を見せた。1989年に現役を引退後、ヘリコプターの事故により足に障がいを持っている。
そしてこの4名のライダーに、『パラモトライダー体験走行会』で常にパラモトライダーのサポートを行っているボランティアスタッフの2名がヘルパーとして参加。チーム名は、この面々を引き合わせたSSPから取って「チームSSP」となる。レン耐では基本的に車両はレンタルがメインとなるが、持ち込みも可能ということで、このチームSSPは独自にシフト操作をハンドル側でできる加工を施したグロムで参戦した。
チームSSPが持ち込んだグロムは、障がいが異なる各ライダーが乗るため、操作する左ハンドル周りはレバーが2本にシフトスイッチと複雑な構造となる。また、各ライダーがこのレース参戦に向け、それぞれの障がいに合わせて工夫もしている。
当日は、雲は多いものの晴れ。前夜には雪が降り氷点下まで冷え込んだこともあってやはり陽が陰ると寒い一日となった。風が強く、時折その風の中に白いものが混じるような時間もあったが、雨に降られることなく4時間の耐久レースを終えることができた。この日のレン耐はクリスマスということで、仮装をすれば5周のプラスハンデがもらえるため、各チームが仮装をして参加したこともあって、ピットもコース上も華やかな一日となった。もちろんこのチームSSPもサンタの衣装を着て参戦した。
レン耐のスタートは、ホームストレートにマシンを並べ、その反対側からライダーが走り寄ってマシンに乗り込みスタートしていくル・マン式となっている。そのため、スタートライダーとなったSSPのまがりさんは先にマシンに乗車し、ヘルパーがライダーの代わりにマシンに走り寄って、他車のスタートを見届けてから、接触などのないようにライダーを送り出してレースはスタート。
ライダー交代は他のチームの邪魔にならないように、ピットの入り口側と出口側の広い場所を使って行われ、ヘルパーがバイクを受け取り、ピットロードを押して、出口側でライダーを乗せてスタートの補助も行う。
レン耐ではさまざまなレギュレーションもあって、ライダー交代の際は、自分たちのピットまで走行して戻ってくるのではなく、事前のチェックポイントでバイクを降車して、ピット前は手押しで移動および乗り換えを行うというルールがある。しかしチームSSPは、チェックポイントの手前の広い場所でヘルパーが待ち構えライダーを下ろしたあと、ヘルパーがマシンを手押しで移動させ、ピットロード出口側で待つ次のライダーのところでスタンドをかけ次のライダーの乗車を手伝い、ピットアウトする車両の妨げにならないよう、ヘルパーが発進の手伝いをしながらレースを進めていく。
今回のレン耐は路面温度が低かったこともあって、4時間のレース中に26回という多くの転倒を数えることとなった。が、チームSSPは、無事に無転倒のまま走り終えることができた。途中でシフトスイッチのボックスが緩んでしまうアクシデントなどがあったものの、4時間のレースで2スティントずつ乗り換えて、最終的には190周を走行してクラス16位でフィニッシュとなった。
各上位入賞者以外にレン耐では毎回特別賞が用意されているが、この日の特別賞は「チームSSP」に贈られた。
今回、パラモトライダーのチームが参戦していることはあまり大きく説明があったわけではないが、レン耐参加者のマナーの良さと、各パラモトライダーが無理をせずに走行を重ねたこともあって、無事にレースを終えることができた。今回参加した4名がともに再度レン耐への参戦を希望しており、近いうちにまたレン耐の場で、健常者と障がい者の隔たりのない参戦が実現するのだろう。
まがり美和さん。「先々月、富士スピードウェイで一般の人と一緒に走行した時はすごく緊張しましたが、今回は他の人と一緒にレースをしたんですが、負けたくないって思いで無事にレースは出来ました。が悔しいって思うところもあって、次に向けていろいろ改良して自分も進化させてもう一度参戦したいです」
古谷 卓さん。「障がい者だけのチームで初のレン耐参戦でしたが、無転倒・無接触で完走できてよかったですし、とても楽しめました。本当に『大成功!』のひと言に尽きると思います。次はもっと多くの仲間を誘って、みんなで和気藹藹って参戦を楽しめたらいいなぁと思っています」
丸野飛路志さん。「事故をしてからずっとこういうものに出てみたいと思っていました。それでこのSSPの活動を機に参戦計画を立て、一年かかりましたがここまで来れて、非常に良かったと思います。今回手伝ってもらった小宮さん、加藤さん、そしてこの参戦を調整してくれた拓磨さんにも感謝しています。ありがとうございました」
小林 大さん。「ひさびさにレースというモノに出ることができて、SSPの皆さんと一緒に走れたのはすごく有意義なことだと思いますし、大きなトラブルもなく走り切ることができてよかったですね。今回の参戦だけにとどまらず、またこれからも楽しみたいと思っています」
ロードレース界のレジェンドである青木三兄弟の三男・治親が代表理事を務めるSSP(サイドスタンドプロジェクト)は、これまでの3年余りで数多くのパラモトライダーを誕生させてきた。パラモトライダーとは、バイク事故などで障がいを負ってしまったものの、このSSPの活動でバイク再デビューを果たした者たちを指す。SSPでは、障がいに合わせて運転操作を加工したバイクを用意し、ボランティアスタッフが車両を支えることで、その障がいをカバーし、バイクの楽しさを再び実感できる機会となるパラモトライダー体験走行会を月に一回ほどの頻度(冬季を除く)で提供している。
その体験走行会も数を重ね、バイクに再び触れてみる、から始まった参加者の中から「もっとバイクに乗りたい」というメンバーも増えてきている。そして話が進み、同じ青木三兄弟の次男・拓磨が主催する『Let’s レン耐!』(Let’sレンタバイク耐久レース)にチームを結成し、障がい者だけのチームが初挑戦した。
『Let’s レン耐!』はレンタル方式のミニバイクレース。エイプ100~グロム125といったバイク本体はもちろん、レーシングスーツなどの装具も貸し出しが可能で、仲間を誘って気軽に参加できる耐久レースである。もちろんレース初心者向けの初心者講習会も同日に開催されており、まさにヘルメットと身体ひとつで参戦が可能なレースである。一年に51週末しかないのに、年間38戦も開催している驚異の開催数というのも特徴のひとつ。チームでなくても一人での参戦も可能なので、拓磨曰く「誘われたら断る理由がなかなか見つからない」というレースなのだ。
そこにフォーカスしてきたのが、SSPでライダーに復活した面々。過去に何度もSSPの体験走行会に参加し、2022年9月に開催されたSSPの一般公道ツーリング『やるぜ!箱根ターンパイク』にも参加してきた。今回のレン耐の参戦を前に8月には同じ群馬県のハルナモーターランドで開催の『ノブアツ杯ハルナミニバイクレース』(こちらは青木三兄弟の長男・宣篤が主催)に試し出場もして準備を重ねてきた。
そして迎えたのが12月18日(日)に開催されたレン耐の東日本第27戦。『ノブアツ杯』で経験もあるハルナのコースを舞台にした『RSタイチCUP Xmasレン耐ハルナ4時間耐久』である。参戦メンバーは、古谷 卓さん(脊髄Th.12損傷の完全麻痺)、丸野飛路志さん(右大腿切断)、まがり美和さん(右大腿切断)というパラモトライダー。そして、ここにレジェンドライダーである小林 大さんも加わったパラモトライダーチームとなる。小林 大さんといえば、1984年、85年の全日本GP250クラスのシリーズタイトルを獲得後、1987年にはWGP鈴鹿GPでも優勝し、味の素ホンダレーシングに所属しAJINOMOTO TERRAカラーのNSRでチームメイトの清水雅広と実力と人気を分け合う活躍を見せた。1989年に現役を引退後、ヘリコプターの事故により足に障がいを持っている。
そしてこの4名のライダーに、『パラモトライダー体験走行会』で常にパラモトライダーのサポートを行っているボランティアスタッフの2名がヘルパーとして参加。チーム名は、この面々を引き合わせたSSPから取って「チームSSP」となる。レン耐では基本的に車両はレンタルがメインとなるが、持ち込みも可能ということで、このチームSSPは独自にシフト操作をハンドル側でできる加工を施したグロムで参戦した。
チームSSPが持ち込んだグロムは、障がいが異なる各ライダーが乗るため、操作する左ハンドル周りはレバーが2本にシフトスイッチと複雑な構造となる。また、各ライダーがこのレース参戦に向け、それぞれの障がいに合わせて工夫もしている。
当日は、雲は多いものの晴れ。前夜には雪が降り氷点下まで冷え込んだこともあってやはり陽が陰ると寒い一日となった。風が強く、時折その風の中に白いものが混じるような時間もあったが、雨に降られることなく4時間の耐久レースを終えることができた。この日のレン耐はクリスマスということで、仮装をすれば5周のプラスハンデがもらえるため、各チームが仮装をして参加したこともあって、ピットもコース上も華やかな一日となった。もちろんこのチームSSPもサンタの衣装を着て参戦した。
レン耐のスタートは、ホームストレートにマシンを並べ、その反対側からライダーが走り寄ってマシンに乗り込みスタートしていくル・マン式となっている。そのため、スタートライダーとなったSSPのまがりさんは先にマシンに乗車し、ヘルパーがライダーの代わりにマシンに走り寄って、他車のスタートを見届けてから、接触などのないようにライダーを送り出してレースはスタート。
ライダー交代は他のチームの邪魔にならないように、ピットの入り口側と出口側の広い場所を使って行われ、ヘルパーがバイクを受け取り、ピットロードを押して、出口側でライダーを乗せてスタートの補助も行う。
レン耐ではさまざまなレギュレーションもあって、ライダー交代の際は、自分たちのピットまで走行して戻ってくるのではなく、事前のチェックポイントでバイクを降車して、ピット前は手押しで移動および乗り換えを行うというルールがある。しかしチームSSPは、チェックポイントの手前の広い場所でヘルパーが待ち構えライダーを下ろしたあと、ヘルパーがマシンを手押しで移動させ、ピットロード出口側で待つ次のライダーのところでスタンドをかけ次のライダーの乗車を手伝い、ピットアウトする車両の妨げにならないよう、ヘルパーが発進の手伝いをしながらレースを進めていく。
今回のレン耐は路面温度が低かったこともあって、4時間のレース中に26回という多くの転倒を数えることとなった。が、チームSSPは、無事に無転倒のまま走り終えることができた。途中でシフトスイッチのボックスが緩んでしまうアクシデントなどがあったものの、4時間のレースで2スティントずつ乗り換えて、最終的には190周を走行してクラス16位でフィニッシュとなった。
各上位入賞者以外にレン耐では毎回特別賞が用意されているが、この日の特別賞は「チームSSP」に贈られた。
今回、パラモトライダーのチームが参戦していることはあまり大きく説明があったわけではないが、レン耐参加者のマナーの良さと、各パラモトライダーが無理をせずに走行を重ねたこともあって、無事にレースを終えることができた。今回参加した4名がともに再度レン耐への参戦を希望しており、近いうちにまたレン耐の場で、健常者と障がい者の隔たりのない参戦が実現するのだろう。
まがり美和さん。「先々月、富士スピードウェイで一般の人と一緒に走行した時はすごく緊張しましたが、今回は他の人と一緒にレースをしたんですが、負けたくないって思いで無事にレースは出来ました。が悔しいって思うところもあって、次に向けていろいろ改良して自分も進化させてもう一度参戦したいです」
古谷 卓さん。「障がい者だけのチームで初のレン耐参戦でしたが、無転倒・無接触で完走できてよかったですし、とても楽しめました。本当に『大成功!』のひと言に尽きると思います。次はもっと多くの仲間を誘って、みんなで和気藹藹って参戦を楽しめたらいいなぁと思っています」
丸野飛路志さん。「事故をしてからずっとこういうものに出てみたいと思っていました。それでこのSSPの活動を機に参戦計画を立て、一年かかりましたがここまで来れて、非常に良かったと思います。今回手伝ってもらった小宮さん、加藤さん、そしてこの参戦を調整してくれた拓磨さんにも感謝しています。ありがとうございました」
小林 大さん。「ひさびさにレースというモノに出ることができて、SSPの皆さんと一緒に走れたのはすごく有意義なことだと思いますし、大きなトラブルもなく走り切ることができてよかったですね。今回の参戦だけにとどまらず、またこれからも楽しみたいと思っています」